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Column コラム

はじめに 音楽とは何か?

幼い頃、私は歌が大好きだった。

テレビでやっている「みんなのうた」を聴いて覚えて、

保育園の先生に披露したり、家にあったおもちゃのカラオケマシーンで

100点が出るまで何度も歌っていたのを覚えている。

 

小学校の時は「童謡を歌う会」に入っていて、週一回合唱をしに通っていた。

中学の時はaikoとBUMPが好きだった。

 

ピアノは2歳から始めていたけれど、そこまで好きなわけでもなく、

弾けるようになると楽しいけど楽譜を読むのは苦手、という感じで、

練習したりしなかったりしながら、ずっと習っていた。

 

中学を卒業する頃、進路を考えないといけなくて、高校をどこにするか、

ひいては大学でどんな方面に進みたいのか、と考えた時に迷わず「音楽」を

学びたいと思い、ずっと続けていたピアノで音大を目指すことに決めた。

 

「歌」でも「ピアノ」でもなく、「音楽」。

好きだった歌と、なんとなく続けていたピアノと、両方を射程に入れて考えた時に

「音楽」を学びたいという言葉になったのだと思うが、その言葉は同時に

「音楽とは何か?」という問いを、私に引き起こすようになる。

 

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そんなことで、「音楽とは何か?」を考え始める人生が始まった。

 

ピアノに関する何がしかを知りたくてこのコラムを開いた人には、全く実用的でない

内容で大変申し訳なく思うが、長年考え続けてきたこの問いに関するあれこれは、

おそらく後のコラムに通底してくる私の考えの根本になっていると思われる。

そのため、まずはここから、言葉にしてみたいと思って書いている。

 

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「音楽とは何か?」と取り憑かれたように考え、最も研究したのは大学時代だった。

「音楽」と名のつくものは片っ端から調べて、民族音楽や現代音楽などの知らなかった

音楽をたくさん知り、またピアノの演奏に関する専門書もたくさん読み漁った。

 

様々な音楽作品を知ったことで「これは音楽だ」と言えるものの範囲はどんどんと

広がった。しかし同時に「こんな演奏は音楽じゃない」と言っている書籍にも多く

出会い(ピアノのレッスンでも度々言われていた)、自分の中で「これは音楽だ」

と言えるものの範囲はどんどんと狭くなった。

 

この矛盾する2つの出来事により、私の中の「音楽」は引き裂かれそうになっていた。

私が音楽を続けるためには、「音楽とは何か?」という答えを、早急に出す

必要があった。そんなところから、まずひとつめの答えに辿り着く。それは、

「“わたし”が音楽だと思うものが音楽である」というものだ。

 

「音楽とは何か?」と考えた時に、音楽の三要素として言われているリズム、

メロディー、ハーモニーのあるものが「音楽」だと言ってしまうと、民族音楽や

ジョン・ケージのような音楽があぶれてしまう。そのため音楽を客観的な要素に

よって定義することは出来ず、国や文化という枠組み、また個人によってもその

定義は異なる、というのがその時私の出した結論だった。

 

「“わたし”が音楽だと思うものが音楽である」というのは、

言葉にしてしまえば当たり前のことに思えるが、これを言えたことで、普遍的な

「音楽」というモノが"わたし"の外の世界に存在しているわけではなく、「音楽」

とは、”わたし”と聴こえるものとの間の関係を指している、という風に、言葉の

捉え方がガラッと変わった。これはかなり画期的な発見だった。

 

 

それから何年かは「音楽とは何か?」という問いは忘れていた。大学を卒業し、

音楽教室でピアノを教えるようになり、3・4歳の子ども達に毎週レッスンを

するようになった頃、答え終わったと思っていたその問いが再び目の前に現れた。

 

その頃の私は、レッスンの帰り道にいつも「私は今日、子ども達に『音楽』を教え

られたのだろうか?」と自問自答を繰り返していた。

例えば、生徒が先生の言う通りに大人しくして、ピアノも言われた通り弾いて

ひとつも間違わず曲を弾いていたとしても「何か"音楽"じゃない」と感じることが

時々あった。そうかと思えば、私の演奏に合わせて「この曲はこんな感じ!」と

ホワイトボードにぐるぐる線を書いて楽しそうにしている時は、「"音楽"している

感じがあるなぁ」と一緒に嬉しくなったりした。

 

「“わたし”が音楽だと思うものが音楽である」という答えを出したはずだったが、

それは今となっては不十分だった。子ども達とのレッスンを通じて感じた"音楽"は、

新しい言葉を私に迫っていた。

 

そんな中で辿り着いたふたつめの答えは、「音楽とは状態である」ということ。

これも、ひとつめの答えと同様に、少し考えてみれば当たり前のことのように思える。

音楽は「音」を「楽しむ」と書くのだから、音を楽しんでいる状態がそこにあることを

本来は音楽と言っていたのだろう。

 

 

 

こんな単純でシンプルなことを見つけるまでに、とても長い時間がかかった。

それというのも、幼い頃はいつも私の手の内にあった音楽が、いつの間にか「音楽」

という何か素晴らしい「モノ」が外の世界にあるように錯覚し、幼い私がやっていた

音楽は音楽じゃないか、もしくは程度の低いものとされ、「音楽」が学ぶべき対象

となり、音を楽しむことは知らない間に私の手からこぼれ落ち、気づいた時には

わからなくなっていたからだ。

 

この、「音楽とは何か?」という問いとそこに対する答えは、一度外の世界のものに

なってしまった音楽を、再び自分の手の内に取り戻すまでの、私の思考の足跡である。

 

私の音楽は、ここからやっと始まる。

 

 (2016/4/2 更新)

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